【実録】ゲイであるぼくが、東京に行きたかった理由【自伝】

LGBTQ+

大家好!一條心です。ゲイです。兵庫県出身で、大学進学時に上京、香港や台湾への留学を経て就職。東京でしばらく働いた後、シンガポールに赴任して6年になります。どうして地方出身ゲイが、地元を離れ、日本を離れて、こんな遠くまで来てしまったのか、について考えるシリーズ、今回は#上京編、ゲイと都会の関係について考えます。

どこか遠くへ行きたかった。

新幹線と東京タワー

今でも新幹線は大好きです。飛行機に似た外との断絶感が物思いに耽るのにぴったりです。実家のある兵庫県から東京への移動はいつも新幹線。たぶん僕の中で、「地元を離れる=新幹線」「日本を離れる=飛行機」の構図で、それぞれ紐付けられて頭の中に記録されているのだと思います。大学受験を終えて、家族に見送ってもらい意気揚々と新幹線に乗り込んだ日のことは今でも覚えています。「上京」という言葉が既にエモいのですが、ちょうど僕が上京する頃、リリー・フランキーの『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』が流行っていて、東京で、いわゆる“お上りさん”となった自分には、感傷に浸るのにぴったりの作品でした。世代がバレますね。

心地よい周囲の無関心

そんなこんなで東京にでてきて、人生で初めて“村”から出て生活することになり、周囲から干渉されない環境を手に入れました。この“心地よい周囲の無関心”は当時の僕に心のやすらぎを与えてくれました。LGBTQにとっての、この地方と都会の関係性は今でも大きくは変わっていないと思います。やはり地方の価値観は新規流入者が少なくて変わりづらいし、合わない人は都会に出ていくという構図も変わりませんね。村社会は、本来、価値観が合う場合は居心地の良いものです。しかし多くの人がLGBTQのことを正しく理解していない(と思われる)場合、その村は当事者にとって地獄です。

昨今、LGBT平等法同性婚の議論が盛んにされるようになっています。世論が十分に形成されてから法律をつくるという節の主張をされる政治家がいますが、こと人権については、法整備が最優先であり、少数派の人権に関して多数派の意見を尊重する必要性はこれっぽっちも無いのです。パートナーシップ制度は全国津々浦々、地方でも導入進んでいますが、国会で関連法整備が勧めば一気に全国民のリテラシーを向上させることができます。

といいつつ、やっぱり仲間もほしい

無関心が心地よいというのは、あくまでLGBTQを正しく理解していない人から干渉されたくないという意味であって、一緒に時間を共有する仲間は必要です。その点において都会は人口が多い分、当事者と出会いやすいです。当時でも既に大学内にLGBTQサークルがありましたし(でも当時は入る勇気なかった)、新宿二丁目の飲み屋街も近くにあった。まだスマホのアプリはなかったけれど、インターネットの掲示板などで知り合った人と東京に住んでいれば比較的簡単に会ったりもできましたね。

大学生の頃は人口の7-9%程度LGBTQがいるなんて知識もなかったし、あぁ、こんなに自分と同じような人がいるんだということが、実際に可視化されて実感できたことは大きな安心感に繋がりました。そうこうしているうちに、ゲイの友達もできて、このあたりから自分の人生を、自分らしく生きられるようになってきたという実感が湧いてきました。

都会派?地方派?

こんなことを言ってしまっては身も蓋もないのですが、社会人になって経済的に独立した後のライフステージにおいて、都会が良いのか、地方が良いのか個人のライフスタイル(家族・仕事・価値観)次第ですね。今回はあくまでも、アイデンティティの葛藤がある若者が「地方と東京(都会)に抱く気持ちってどんなだろう」というテーマで、自分を振り返ってみました。

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