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【実録】ゲイであるぼくが、地元を離れたかった理由【自伝】

LGBTQ+

大家好!一條心です。ゲイです。兵庫県出身で、大学進学時に上京、香港や台湾への留学を経て企就職。東京でしばらく働いた後、シンガポールに赴任、紆余曲折ありましたが、結局6年弱もシンガポールに滞在してしまいました。今後は旦那さんのいる台湾へ身を移そうと準備中ですが、どうして兵庫県の片田舎出身のゲイが、地元を離れ、日本を離れて、こんな遠くまで来てしまったのか、について考えたいと思います。

どこか遠くへ行きたかった。

とにかく地元を離れたい

小中高と実家から徒歩・チャリで通える地元の公立学校に通っていました。田舎だったので、私立は家から一番近い学校でも、そもそも本数も少ない電車とバスを乗り継いで、遠くまで通学しなければならない立地でした。当然そこまでする理由もなく、両親も兄弟もみんな同じ高校に通ったという典型的な地方ファミリーです。

今思えば地元にも良いところがたくさんあります。瀬戸内沿いで穏やかな気候だし、山と海に挟まれて自然豊かな暮らし良い街だと思います。でも、高校に入る頃から、どうしても地元を離れて、東京に出たいという気持ちが強くなりました。当時はその気持が何から来るのか、自分でも分かっていなかったと思います。ただ無性に、ここは自分の居場所じゃない、言い換えると、自分が将来ずっと住みたい場所はここじゃないという気持ちかな。当時は、中2病みたいなことしか言えてなかったと思うけど、それを無条件に応援してくれた両親に感謝してます。

嫌だったのは田舎じゃなくて、村社会

地元を離れたかった理由を改めて考えてみると、田舎の村社会が嫌だったんだと思います。ちなみに村社会とは、

集落に基づいて形成され、有力者を頂点とした序列構造を持ち、古くからの秩序を保った排他的な社会を指す。 … 村社会にはしきたりがあり、それを破ったものには村八分などの制裁が科せられる。 そこから派生して、同じような悪習を持つ閉鎖的な組織や社会も村社会と呼ばれる。
Wikipediaより引用)

すこし大げさな解説ですが、的を得ています。確かに、日系企業の伝統的な、序列としきたり遵守が強い社風のことを、村社会なんて言ったりしますね。村社会における親戚一族や近所の人たちからの“監視の目”“過度な干渉”は心地よいものではないです。特に、進学・就職・結婚等のライフイベントに関する周囲の関心は高く、10代から20代にかけて、過度な干渉と監視の目にさらされることになります。都市圏出身の方は、気にしなければ良いんじゃない?と思うかもしれませんが、“有力者を挑戦とした序列構造を持ち”とあるように、そこで生活する以上、その組織に所属しないという選択肢がないのが村社会の恐ろしいところです。

もし当時の自分がゲイだと気づいていたら

当時の僕は、まだ自分がゲイだと気づいていなかったので、その点においてプラスαのストレスはありませんでした。もし気づいてたらどうなっていたかと考えると恐ろしいです。先日、「ぼくにとってのカミングアウト」でお話したとおり、カミングアウトには自分へのカミングアウト(自分で自分がゲイだと受け入れること)他者へのカミングアウト(それを人に伝えること)の2段階があります。

当時の僕が仮に自分がゲイだと気づいていたとして、それを自分の中で消化できていない段階において、過度に他者から干渉を受けることは、想像を絶するストレスです。周囲に参考にできるロールモデルがなければ、その大きな不安感はとても思春期の子供がじぶんで消化しきれるものではないと思います。この点に関して、LGBTQの自殺について、わかりやすい記事をご紹介しておきます)

“自殺を考えたことがあるLGBTQ+の人の割合は65.9%。これはLGBTQ+でない人の6倍にも相当する割合だと言われています。” 

この事もあって、子育て世代の兄弟や友人には正しいLGBTQの知識と理解を身につけてもらいたいと心から思ってます。そのために自分の話をわざわざ文章に書き起こしています!ブログを見た友達からは「結構、赤裸々にだね!」とコメントを貰っています。でも今後彼らが子育ての中で、このことに直面して戸惑った時に、僕のことを思い出すなり、僕に話を聞きにきてくれたりしてくれれば嬉しい。もちろん家族のあり方は人それぞれなので、正解を教えることはできないけど、共有できることはたくさんあると思います。

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