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【実録】ゲイカップル、家を買う。【旦那さんのカミングアウト物語】

LGBTQ+

 大家好!一條心です。僕は、シンガポールに住んでいて台湾出身の旦那さんがいます。セクシャリティはゲイで、家族にも職場にもオープンにして暮らしています。先日、「ぼくにとってのカミングアウト」で自分のカミングアウトについて(少し赤裸々に)お話しました。今回は、台湾出身の旦那さんについて書きたいと思います!あとからバレて確実に怒られるやつです(笑)

僕と旦那さんの両親との付き合いは?


僕と旦那さんと出会ったのが2009年で、彼が両親に対して明確にカミングアウトしたのは2013年でした。今でこそ、アジアの人権先進国のリーダーとなりつつある台湾ですが、早くからすべての人が同性愛や同性婚に寛容だったわけではありません。今の日本に比べても反対派の活動が非常に活で、特に台北以外の中南部や年配の世代にはそれが強い傾向にありました。彼の両親は台南出身でともに公務員のような固い仕事をされていましたし、ちょうど同性婚の議論が盛んにされるようになってきた頃で、周囲には反対活動をしている人も多くいたと思います。

付き合い始めた当初から”友達”として、事あるごとに彼の両親の前に登場していた僕ですが、僕のことは、息子の親しい外国人(日本人)の友人として、非常に親身に接してくれていました。台湾の家族は日本人感覚ではギョッとする程関係が濃密で、当時すでにアラフォーに差し掛かっていた彼も両親と日頃から連絡を取り合い、頻繁に食事や旅行なんかも一緒にしていましたね。でも両親へのカミングアウトに関する考え方は、非常に慎重でした。兄弟からも頭の固い両親へ話すのは時期尚早だと言われていたこともあり、良好な親子関係ではあったものの、性的指向や結婚観は(どこかの政府の言葉を借りると)家族のありかたの根幹に関わるものとして慎重な姿勢を崩していませんでした。

しんウサ
台湾も当時は同性婚に関する反対運動が盛んだったんだよ。

しんクマ
台湾ファミリーの家族はすごく親密なんだ!

お義母さんが“彼女”という言葉を使わなくなった日

いつの時代も年頃の息子を持つ両親の最大の関心事は一つ。彼女はいるのか、結婚する気はあるのかです。それも海外(日本)に暮らしている息子ということで、彼の生活実態を測りかねていた両親は、僕に会うと「息子は日本で彼女はいるのか、結婚するつもりはあるのか?」といった類の質問をこっそりしてくるのでした。息子さんの恋人が目の前にいますよ」とも言えず、気まずい気持ちをしながら受け流す日々が続きました。定期的に食事をしたり、日本と台湾を行ったり来たりで年に1−2度は旅行に一緒に行くような日々を数年過ごしているうちに、とある時から、お義母さんが「息子に彼女はいるのか」の話題をしなくなりました。きっかけがあったのか、なかったのかは分かりません。

明確な変化は突然やってきました。この日も両親が台湾から日本に遊びにきて、新宿で彼と僕との4人で夕食をしている時、いつも通りお義父さんが「結婚は早いにこしたことない、ずっと一人は寂しい!」という話を始めました。僕がまた来たいつものやつきたな、と思っていたら、何かを察したかのようにお義母さんが横から被せるように「少なくとも一緒にいられるパートナーが必要だね」って言い直したんです。中国語で「至少要有個」、日本語でいうと伴侶の伴で、相方とかパートナーというジェンダーニュートラルな言葉です。お義母さんが初めてこの表現を使ったこの夜のことを今でもはっきり覚えています。食事の席での一コマだったので、おそらくお義父さんは気づいていないし、彼も気づいていなかったかもしれません。でも僕は明らかに風向きが変わったあの夜のことをはっきり覚えています。

しんロウ
どこの国の親も言うことは同じだな!
しんウサ
やっぱり母親は一番に気づくものなのかなぁ

次第に募るお義母さんの疑念

 お義母さんが“彼女”という言葉を使うのをやめて、“伴(パートナー)”という言葉を初めて使った日を境に、お義母さんの中で息子に対する疑念が募り始めたようでした。結婚の話題を自発的にはしなくなったし、どこか奥歯にものが挟まったような端切れの悪さを感じるようになりました。お義父さんは相変わらずだったので、この時点ではお義父さんとは具体的な相談はしてないようでした。

旦那さんは大学卒業後、海外暮らしが長く、普段は一緒に暮らしていないし、あえて急いでお互いに確信に迫る必要がなかったんだと思います。台湾は世界トップクラスの晩婚化した社会ですが、それでも息子が30代後半になって彼女の一人も連れてこないことに理由がないとは思えなかったのでしょう。次第にお義母さんと旦那さんとの探り合いが始まりました。

どうしてあの子(僕のこと)の世話ばかりしてるの?

僕と旦那さんは10歳年の差があります。台湾人のご両親からしたら、僕は息子の外国人の“友人”ですが、ずいぶん若い友達と仲良くしてるんだなぁ、と思っていたと思います。両親が日本に来る時も、台湾に彼が帰省する時も常に僕が一緒に登場するので、うちの息子に纏わり付いているこの若い日本人の男の子は一体何者なんだ!と次第に疑問に思ったのでしょう。新宿の夜から、それほど日は経っていなかったと思いますが、僕がいない場で、お義母さんが彼ににこう聞いたそうです。

「どうしてあのこ(僕のこと)の世話ばかりしてるの?」

台湾のお義母さんからすると、30代後半になって彼女も作らず、10歳も年下の日本人の男の子とばっかり一緒につるんで、うちの息子は一体何がしたいんだと、当然疑問に思いますよね。その時は、いや“友達”だよ、とはぐらかして、お義母さんもそれ以上は追求しなかったそうです。今思うと、カミングアウトするまでの僕たちは、こうやって親しい人に対しても、自然と嘘をつくことに慣れてしまっていたんだと思います。

しんロウ
嘘をつくことに慣れてしまっていたんだ

どうして友達と一緒に家を買うの?

いよいよ、その時は来ました。2013年の夏頃の話です。僕と彼は東京でマンションの内覧巡りをしていました。僕は、(当時まだ若かったし)買うつもりはなかったのですが、旦那さんは最初から本気だったようです。毎週末マンションを見に行くのが日課になって2ヶ月ほど経った頃、立地・予算・入居可能時期すべてほぼパーフェクトな物件に奇跡的に出会い二人で即買おうと心に決めました。台湾ファミリーですから、大きな決断をする時には必ず両親に相談して合意を得ようとします。両親も当然のように自分事として考えますし、結果としてたくさん喧嘩をします。あ、話が逸れました。

話をマンションに戻します。彼が両親に東京で良いマンションが見つかったから、買うつもりだよと相談したところまでは、両親も前向きで良かったのですが、“僕と二人で買う”と条件に対して「待った」が入りました。

「どうして友達と一緒に家を買うの?」「自分で買えばいいじゃない?」

投資も兼ねてるからだのなんだの、彼は思いつく限りの説明をしたようですが、両親は最後まで納得できなかったそうです。「そんな大きな買い物、自分でするなら応援するけど、友達と一緒にするのは将来ややこしくなるから止めてほしい」とういうのがお義父さんからの最終メッセージでした。非常に残念だったし、そもそも自分たちが家を買うのに親の合意が必要なのか?と思ったりもしましたが、不動産屋への確定注文を入れるまでの時間的猶予がなかったので、両親がそんなに反対するなら一旦保留にしようかと二人で話して、翌日不動産屋に連絡しようということになりました。

そして翌朝、なんとお義母さんから家族会議の再招集がかかりました。

しんウサ
お義父さんの言い分も分かるけど、本当のことが言えないのは、すごくもどかしいね。

応援しない。からの家族会議再招集

旦那さんの両親に対して、カミングアウトしていなかった僕たちは、“友達同士でマンションを一緒に買うという体”で、相談をしていたのですが、「友達同士で大きな買い物(投資)をするのは将来ややこしくなるか止めてほしい」というのがお義父さんからのメッセージでした。家族に強く反対されている状況で、勝手に事を進めるのは得策ではないと感じた僕たちは一旦購入を保留するつもりでいました。

そこに、お義母さんから家族会議の再招集がかかりました。僕は参加が許されませんでしたので、彼と両親の3人での家族会議です。そして、いそいそと再度集まった3人、お義母さんは開口一番、彼にこう問いかけました。

「あなたたちは付き合っているの?」

 ああ、ついにこの時がきた、と彼は思ったそうです。あくまでも、自発的にカミングアウトするつもりがなかった彼ですが、両親の方からはっきり聞かれた場合には認めようと心に決めていたそうです。

そうだよ。

僕はその場にいませんでしたので、両親がどのような表情でこの言葉を受け止めたかは分かりません。ただ、ドラマであるような泣いたり喚いたりのような展開はなく、しばらく神妙な面持ちのまま、ぐっと口をかみしていたそうです。どれくらいの沈黙だったのかは分かりません、おそらくほんの数分だったと思いますが、3人にとっては、ものすごく長い沈黙だったはずです。沈黙を破ったのはお義父さんでした。この件に関して終始沈黙を守ってきたお義父さんが「ちょっと考える時間が必要だから、また明日話そう」だけ言って、その場をお開きにしたのでした。

やっぱりお義母さん気づいてたよね

家族会議の後、一部始終を彼から聞いた僕は、やっぱりお義母さん気づいてたんだよなぁ、と思いました。初めて僕が両親に紹介されたのが2009年の年末頃、このマンションの話をしているのは2013年の夏です。既に3年強、ずっと一緒にいる僕たち二人の様子をみてきた両親が何も思わない訳ありません。ただ最近までお義父さんは全く気づく素振りを見せていなかったので、おそらく前日の家族会議の後に、お義母さんがこの話を切りだしたのでしょう。

兎にも角にも、彼は長年黙ってきたことを、ようやく話す機会が来たことで、晴れやかな気持ちだったようです。彼はその後すぐ、嬉しそうにお義姉さんに電話して、「やっと両親に言えたよ!」と報告していました。かねてから両親にカミングアウトすることに反対していたお義姉さんは、ついにこの日が来てしまった。。。と戦々恐々としていたそうです。両親(とくにお義父さん)も彼もすごく頑固な性格なので、お互いに反発し合うと簡単に家族仲が崩壊してしまう、そして修復が容易でない、と心配していたようです。僕もその意見には納得です、だって本当に頑固なんです。親子は本当によく似るものだと心の底から思います。

わかった。応援するから、買ったら良い。

沈黙の家族会議の翌日、約束通りお義父さんから連絡がありました。約束はちゃんと時間通り守る律儀さはやっぱりお義父さんらしいな、と思いました。翌朝、朝早くにお義父さんから彼に電話がかかってきて、

「わかった。応援するから、買ったら良い。」

とだけ伝えてすぐ電話を切られてしまったそうです。その後、お義母さんからの詳細のフォローアップがあったようですが、僕は彼とお義母さんがどんなことを話したかまでは聞いていません。ただ再会議の後、両親で話し合って応援してあげようという結論になったそうです。

少し前から気づいていた気配のあったお義母さんは、おそらく心の整理と消化がある程度できていたんだと思います。でもあの頑固なお義父さんを、たった一日で?納得させられたんだとしたら、さすが長年連れ添った夫婦はすごいな、と思います。もしくは、お義父さんも人生最大の謎「何で息子が彼女の一人も連れてこず、頑なに結婚の話題を嫌がるのか」という長年の疑問の真実がわかって、案外すんなり納得したのかもしれません。このあたりは、僕は真実を知るよしがないので、想像です。

やっぱり20年って長いよなぁ

彼は小さい頃から自分がゲイだと気づいていて、両親に言えたのが30代後半になってからですので、軽く20年ほども伝えずに親子を続けてきたことになります。カミングアウトをするしないを含めて、人それぞれですので、これを長いのか、短いのかを考える意味は無いと思います。でも、やっぱり、20年って長いですよね。それも親しく頻繁に連絡取り合ってる家族なら尚更です。LGBTQを取り巻く環境は、先人たちの努力の積み重ねで少しずつ、でも確実に変わってきています。大切に人に嘘を付き続ける必要のある人が少しでも少なくなれば良いなと思います。

しんクマ
時間をかけたことによって、両親も心の中である程度消化できていたのかもしれないね。
しんロウ
兎にも角にも、家買えてよかったな!

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