【実録】ゲイであるぼくが、海外に行きたかった理由【自伝】

LGBTQ+

大家好!一條心です。ゲイです。関西の西の端っこ出身で、大学進学時に上京、香港や台湾への留学を経て就職。東京で5年働き、シンガポールに来て6年になります。今回は、どうして地方出身ゲイが、地元を離れ日本を離れて、こんな遠くまで来てしまったのか、について考えるシリーズ、#越境編です。

どこか遠くへ行きたかった。

単純に英語の勉強が好きだった

記憶を遡ってみたんだけど、一番最初のきっかけは単純に英語の勉強が好きだったこと。総じて勉強は好きじゃなかったけど、英語は中学から英会話のある塾に通わせてもらって、高校三年の前半頃まで続けた。亡き父が、自分のキャリアの中で、英語や海外経験がなかったことが不利に働いたという思いがあったようで、塾だけでなく短期のホームステイなんかも行かせてもらった。最後まで続いた習い事は、この英語と水泳ぐらい。母に言わせると、好きなことが見つかるように色んな事をさせた、ということだそうだ。素直に感謝したい。英語が好きだった理由は、テストが暗記が得意な自分向きだったし、外国の言葉で文章読んだり、聞いたりしてると、なんだかもう一人の自分になれたような高揚感を味わえたことかな。

大学に入ってからの軌道修正

そんなこんなで英語が得意で留学にも興味があったので、早稲田の国際教養学部に進学。当時はまだ設立数年の新設学部で、本当はICU(国際基督教大学)が第一志望だったけど、英語しか得意なことがない僕は、論文やら一般教養がさっぱりで撃沈した。入学後、覚悟はしていたものの、帰国子女や留学生が多数派で、英語で進行する授業は結構タフだった。次第に分かってきたのは、高校時代英語が好きだったのは、英語という言語を学ぶことがが好きなのであって、英語圏のカルチャーが特別好きなわけじゃなかったということ。そんな時に出会ったのが“中華圏”だった。同じ学部内に中華圏出身の留学生(中国、台湾、香港や中華系のマレーシア人)がいて、特に台湾人とはすぐ仲良くなった。このあたりから、僕の人生の二回目の軌道修正が始まった。一回目は地元を離れて東京にいくこと、二回目は中華圏を深堀りしていくこと。中国語(僕が使うのは繁体字の台湾華語)という言葉もすごくしっくりきたし、よく言われますが、中華系の人の気質は関西人に似た特有の人懐っこさと、お節介さがあって、自己主張がはっきりしてる。そんな気質も、居心地いいなぁとこの頃から感じ始めたのでした。

で、本当の理由は?

で、ホントのところなんですが、この二回目の軌道修正で中華圏に軸足を移したのが、ちょうど自分がゲイだと気づいた頃なんですね。その理由は単純で「中華系の男子」が好みだったからです(笑)。二枚目の香港俳優が大好きで、一時期香港映画のレビューブログ書いたりしてました。中華圏に留学したら、中国語をもっと勉強したら、あんなカッコいい彼氏ができるかもしれない!そんな不純な動機が、僕を駆り立てたのでした。不純な動機ほど強い動機はないと思います、ほんとです。中国語も大学在学中はずっと勉強してたはずなのに、自分の中では遊んでた!ぐらいの記憶しか残っていません。おかげで(動機がしっかりしていたので)、香港留学もそのあとの台湾留学もとても実りあるものになりました。

働き始めてからの中華圏との関わり方は少し変わったのですが、学生時代は単純に友達欲しいな、彼氏欲しいな、とかその程度の気持ちだったと思います。その後のキャリアに繋げようとはあまり考えていなかったので、社会にでるまで、ビジネスの世界でこんなに中華系が幅を効かせているとは露知らず。これらの経験は実際に仕事していく上で有利に働くことがたくさんありました。

以上、つらつらと伝記みたいになってしまいましたが#越境編でした。

これで「とあるゲイ、どこか遠くへ行きたい」シリーズは一旦おしまいです。自分の人生を振り返って、当時どういう気持ちで進路を決めてきたのか、“気持ちの変化”をメインに話してきました。それぞれのステージで色んな喜怒哀楽があったのですが、今後少しずつ話していきたいと思います。

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